さてさて。少々古い記事で恐縮ですが、こんなニュース記事がありました。

「使い捨て「100円ライター」来年9月27日から販売禁止 閣議決定」

記事そのものの内容にご興味がおありの方は、上記の見出しをクリックしてみて下さい。まだ記事が残っていればちゃんと飛べる筈です。

尚、この記事の見出しに「来年」とありますが、記事自体が古く、昨年の 11月の記事ですから、実際に販売が禁止されるのは今年(2011年)の 9月と言う事でしょう。

で、何故こんな記事を取り上げるかと言うと、これって良い事かな?と思えるからです。

 勿論、レバーが重くなったライターしか流通しない、と言う事になれば、子供がいたずらする事もなくなり、結果的に火事など事故が防止、或いは少なくとも減少するだろう、と言う事で「良い事」と言う事が出来ます。

でも、問題の本質はそんなところにないのではないか、と思う訳です。

実際に、ある子供がレバーが重くなっていないこれまでの普通のライターをおもちゃにし、いたずらして火事になったとしましょう。

そのような場合誰に責任があるのでしょうか。子供には責任はないです。ライターに責任はありますか?ライターにもありませんよね。

そのようなケースでの責任は、親(子供を監督している大人、保護者)にある訳でしょう。何故なら「ライターと言う『アブナイもの』を子供が手の届くところに置いておいた」或いは、「ちゃんと子供にライターと言うものがアブナイシロモノである事を教育しなかった」と言う意味で。

そのような点を考慮せずに何でもかんでも「より安全なモノにする」と言う方向は正しいとは言えないのではないか、と言う気がします。

なんだか、親や保護者に対して、「あ。あんたたちは子供たちをちゃんと教育しなくて良いよ。我々がどんなものでも子供が触っても安全なモノにして行きますから」と言い、少なからず、親の子供に対する教育責任、監督責任をどんどん削って言ってしまうようなものではないか、と言う気がするのです。

普通の家庭にはライターに限らず、危険なシロモノが沢山転がっています。ハサミ、包丁、薬剤、洗剤、カッター、ナイフ、その他もろもろ。

子供たちに対し、それらが危ないものである事を教え、且つ子供たちの手の届かないところに置く、或いはしまっておく、と言うのが親の役目でしょう。そのような教育を通じて、自分の家の中だけではなく、世の中には危険なものが一杯あるのだ、と判らせ、ひいては、子供たち自身の「何が危険で何が安全か」と言う判断基準と言うか判断力、或いは分別と言うものを養う事になるのではないでしょうか。

このまま行ったら、全く切れない包丁とか出て来ますよ・・・、と言うのは冗談ですが、例えば「パスワードを入れないとカバーが取れない包丁」とか・・・。

これ、結構良いアイデアかも知れませんね。包丁メーカーの方がこのブログを読んで、このような包丁を開発されるのであれば、是非アイデア料をお願いしたいところですが・・・。

ついでに書くと、そのような包丁が一般的になった時代で、ある犯罪者が逃げ込んだ先で、女性が危機にさらされる・・・。台所に逃げ込んだ女性は、「そばに来ないで!!」と叫び、包丁を手にするが、とっさにカバーをとる為のパスワードを思い出せない・・・。

と、そんなサスペンス映画は如何でしょうか。パスワードを一生懸命入力する女性・・・。ハラハラさせられる映画になりますよ、きっと。